通りで待つ

公園の片隅に、ぽつんと忘れ去られたかのようにダンボールが置いてあった。
その中には、ささやかだが暖かい家族を構成している実装親仔が住んでいた。
親1匹に仔実装が1匹、計2匹だけのとても小さい家族。小さいけれどそこには幸せがあった。

餌探しにから帰ってきた親実装に、今日も勢い良く飛びつく仔実装。
親実装の腹の肉に顔を埋ませながら、テッチーと元気よく声を上げ甘えていた。
仔実装は親実装の大きな手で頭を撫でてもらうのが大好きだった。
親実装が出かけている間、言いつけを守り、湿ったダンボールの中でジッと息を殺しながら膝を抱えている仔実装。お留守番はとても嫌で、心細かった。
そんな仔実装にとって頭を撫でてくれるこの動作は何よりものご褒美。
優しくて大好きな親実装を独占できる。偉い偉いと褒めてくれる。
それが嬉しくて仔実装はとても幸福な気分になれるのだった。

何回目の事だろうか、今日も嫌な時間が始まる。
餌探しに出かける親実装の後姿を、今日もダンボールの中から見送る。
そう退屈な時間。心細い時間。それが始まってしまったのである。
始めの数十分はいつも通りおとなしく身を丸め目を瞑り、いつも通りの時を過ごしていたがやがて、目を開ける仔実装。
仔実装は思った。ちょっとぐらいならばお外で遊んでも良いじゃないかと
今まで、ただの一度もこのダンボールに近づいてきた生物はいない。
声を上げなければ、ちょっとぐらいお散歩してもいいはずだ。
一度そう思ってしまえばもう、親実装との約束など無かった事になってしまった。
湿ったダンボールの中から飛び出し、陽の光りを一身に浴びる。
声を上げてはならないと自分を戒めていたのも忘れ。
雑草が生い茂るちょっとした広場でテチィィっと声を上げながら走り回る。楽しくてたまらないようだ。
その内蟻の行列を発見し、その行進に心を奪われる仔実装。
テッチテッチと口ずさみながら行列の後をついて歩く。

下を見ながら歩くものだから、仔実装は変な場所に出てしまったようである。
とてもひらけていて、触ると熱い石がどこまでも続く不思議な空間。
仔実装は分からなかったが、熱い石はアスファルトであった。
どうやら仔実装は人間の生活圏内に出てきてしまったようである。
テェーっと呆けた声を出し、上に顔をあげる。
小さな仔実装には一般的な平屋がまるで山のように見えたようだ。
すると、ここに来て急に恐ろしさを感じる。
仔実装は二,三歩後ろへ後退すると、熱くない土の上に尻をつき大泣きを始める。
巨大な建造物を目の当たりにして何故だか無性に怖くなったのだった。
道端に仔実装特有の甲高い泣き声が響き渡る。
テェェェッェェェッェエエエエン テェェェエエエッェッェン…
誰に助けを求めているのかも分からないまま、仔実装は只管声を上げ続けた。
そんな時である。仔実装に降りかかっていた陽の光りが急に遮られる。
仔実装は始め、あの山のような建造物が動いたのかと思ったようだ。

「あらあら、どうしたの?」
見た目から推測すると20代後半と言った感じだろうか、一人の女性がそう仔実装に声をかけた。
テッテェェ!?
仔実装は思わずそんな声を出す。頭がくらくらして来たかと思うともう何も考えられず、涙を流す事も出来ずにもう一度、間抜けにもテェーと鳴いてしまった。
そんな仔実装の頭に親実装の言葉が聞こえてくる。
〝とっても大きい生き物、ニンゲンがダンボールハウスにやってきたら兎に角逃げるデス。
姿を見たら逃げるデス。視線が合ったら逃げるデス。言葉をかけられても逃げるデス。
逃げられない場合は絶対に泣いちゃダメデス、媚びちゃダメデス、何をされても動いちゃダメデス。
そうすれば、運がよければ生き延びられるデス…〟

次の瞬間、ブバッっという音が聞こえてきた。
恐怖のあまり糞を漏らしたようである。
パンツの中に入りきれなかった糞が、服にまで染み出し異臭を放ち始める。

震える事も、泣き叫ぶ事もニンゲンと対峙したらするなと親実装から言われていたが、そんな事仔実装には出来るわけが無かった。
テッヂァァァアァッァ テッチィィィィィィ!! 仔実装はパニックに陥った。
こんな事になるのならばお家から出なきゃよかった
ママの言いつけを破ったからこうなったんだ。もう言いつけを破らない良い仔になるって約束する
だから助けて、たすけてぇぇ ママァァァァァアアアアァァァア!!
犬のように四つん這いになりながら逃げるものの何度も転び、女性から距離をとろうと必死になる仔実装。
声は擦れ、喉はカラカラで今にも朝食べた餌が逆流してくるような気持ち悪さに襲われた。
「ちょっと、どうしちゃったの?」
女性が口にする仔実装の身を案じる言葉が、仔実装を更に追い詰める。
四つん這いになり転び、立ち上がっては転び、地面に何度も頭を擦りつけた結果、頭巾の左耳の辺りが破けてしまう。

もう足がクタクタで、逃げられない。あいつはすぐに追いついてくる。
殺されたくない。どうすれば? 殺されないためには、アレをやるしかない。

ヨロヨロと立ち上がった仔実装は、仔実装の逃走劇をただ見つめているだけだった女性に向かい、テチュ〜ンと媚び声を出した。
右手を口元に置き顔を傾ける媚びポーズも勿論行う。
誰に教わったわけでもない。蜘蛛が巣の張り方を生まれつき知っているように鳥が飛び方を知っているように、仔実装は本能に従い媚びを行った。
可愛さという仔実装唯一の武器で己の身を守ろうとしたのであった。
テッチュンテッチュンと声を上げる度に、ブビッィ ブバッァと糞を漏らしながらの媚
首を傾ける度に、涙と涎が周りに巻き散る。

そんな仔実装の媚びを見ていた女性が手を伸ばしてくる。
仔実装はより一層大声を上げながら媚びをヒートアップさせる
デヂィィィィィ〜ン!!!
壊れた人形のようにカクカクと首を傾けまくる。それはもう媚には見えなかった。
枯れたはずの涙が目から溢れ出た。もう糞は出なかった。
恐怖に飲み込まれそうだった。そして死を覚悟した。

だが仔実装が想像した事とは違う展開になったようである。
「良くわからないけど、私が原因だったみたいね。ごめんね」
ポンッと女性の掌が仔実装の頭に置かれる。その後も、優しく何度も撫でてくれる。
撫でられる度に仔実装が落ち着きを取り戻す。

ママよりも大きくて、暖かい手…
仔実装の頭の中にあるニンゲンに対する知識は、親実装から教えられたものが全てであった。
凶暴で、凶悪で決して近寄ってはならない生き物。そう教えられていた。
だが今こうして撫でられていると恐怖では無く、何か暖かい気持ちになってくる。
強者に依存する。強者に愛される。
それは理屈では無かった。先ほどの媚びと同じ類のもの
気がつくと仔実装は自然にテチュ〜ンと嬉しそうに声を上げていたのであった。
女性と別れ暫しの間呆けていた仔実装の耳に、仔実装を探しに来た親実装の声が聞こえてくる。
どうやら今日はみっちりお説教をされるのを覚悟しなくてはならないようであった。

あれから仔実装は親実装の目を盗んでは、この通りに顔を出すようになった。
物陰に隠れ、女性がやってくると姿を表す。
テチッと声を上げながらの登場。
「こんにちわ、ふふふ」
しゃがみ込んだ女性に頭を撫でられ、幸せそうな声を出す。
「はい、お土産だよ」
袋を破り取り出したのは、飴であった。
それを貰うと、両手で飴を掴みベロベロと舌で舐め出す仔実装。
女性はこの妙に人懐っこい仔実装に名を贈っていた。
頭巾が破れたおかげで片耳が剥き出しになっている仔実装。
身体的な特徴からミミと名付けたのであった。

名をつけられ、甘い飴を貰い今日もテチーンと嬉しそうに喉を鳴らすミミ。
優しく自分に構ってくれる女性と触れ合う事で、いつしかミミはある期待を胸に抱き始めた。

一人前になったとママに認められたら、ワタチ、このニンゲンと一緒に…
名前を贈られているのである。
名無しの野良ではなく、ミミという名がその仔実装にはもうあるのだ。
そんな事を考え期待してしまっても責める事は出来ない。
テチチっと小さく笑いながら飴をペロペロ舐めるその表情は、実に無邪気なものだった。

幸せいっぱいの気分でダンボールハウスに帰るミミ。
そろそろ親実装が帰ってくる時間であった。
だが、今日に限ってはなかなか帰ってこなかった。
終に陽が沈み、辺りが暗闇になっても親実装は帰ってこない。
ミミは待ち続けた。お腹がクークーなっても泣かずに親実装の帰りを待っていた。
少しだけ顔を出して暗闇に向かってテチーと鳴いてみる。勿論何も反応は無い。
ミミの親は既にこの世にはいなかったのであった。
運悪く餌探しの途中で車に撥ねられてしまった親実装。その事を知る術などミミには無い。

その日ミミは生まれて初めて、たった一匹で夜を過ごす事になった。
テチィィ…
不安そうな声が通りに響く。
次の日も、その次の日もその次の次の日も親実装はダンボールハウスに戻ってはこなかった。
何かあった時に食べなさいと言われていた非常食を口にし、それが底を尽きる頃ミミは親実装が死んでしまった事をなんとなく理解した。
普通の仔実装ならば、取り乱して泣き明かすか暴挙を起こすかなのだが、ミミはそうはならなかった。
ミミは希望を持っていた。それがある為、次は何をするべきかをも分かっていたのだ。
即ち、あの女性に飼ってもらう。
ママが帰ってこなくなったのは悲しい、でもワタチにはまだ頼るものがある。
ミミは確信していた。自分に構ってくれるあの女性だったら絶対に飼ってくれると…
名前があるんだ。自分にはミミって言うステキな名前が、名前は飼い実装ならばみんな持っているってママが言っていた。

テ? そうするとワタチはもう既に飼い実装テチ?

そんな事を思いながら、今日も物陰に隠れ只管あの女性が通りかかるのを待っているのであった。

そんな時、あの女性がいつものように通りに現れる。
テッチーン その姿を視界に捉えた瞬間、ミミは通りに勢い良く飛び出した。
「暫く姿を見せてくれなかったから心配したよ。ありがとう、今日も待っていてくれたんだね」
そう言いながら、もはや習慣となった飴あげを行い始める女性。
バッグから飴を取り出し、それをミミに手渡す。
いつもならば大事に舐めるのだが、今日のミミは殆ど味わう事無くその飴を丸呑みにした。
味わっている暇は無いのであった。やるべき事がある。ミミはテチュンテッチュンと声を上げ、媚びを始めた。
「あらあら、ふふふっ」とその媚びの仕草を柔らかい表情で見つめる女性。
ミミは確かな手ごたえを感じていた。やりすぎるという事は無い。念には念を入れ、今度は実装ダンスを始める。

埴輪のようなポーズを決めると、お尻をフリフリと左右に振り可愛らしいお尻が包まれたパンツをチラチラと見せ付けるダンス。

顔は笑っていても、その内心は上手く踊りきれるかでハラハラしていた。
「上手い上手い」何時の間にか女性から拍手が上がっていた。
テチチチチ ミミは女性に気が付かれない様に小さく笑った。
これで私は拾われる。これで安心だ。
「はい、頑張ったご褒美」何故か、もうひとつ飴を差し出してくる女性。
なんでここで飴なんだろうと不思議がりがりながらも、その飴を受け取るミミ。
「じゃ、また明日ね」笑顔でそう口にすると、女性が歩き出してしまう。
テェェェェ? テテェェェェ!!? 思わず飴を地面に落としてしまうミミ。
それでは困るのだ。行ってしまったら困る。拾ってもらわないと、だって、ワタチの事好きなんでしょ、一緒に居たいでしょ?
ミミは大声を上げながら女性に突進した。
何事かと歩みを止めた女性の足首目掛けてジャンプをすると両手両足を使って力の限り抱きつく。
飼って 一人は嫌、ママ居ない、飼ってぇぇぇぇ
「ちょ、いきなりなんなの?」

困惑する女性を無視し、テェェェェンテェェェェンと汚い顔を擦り付けながら愛情を表現するミミ。
親実装に行ったように、女性にも心からの甘えを行う。
みるみる内に女性のストッキングがミミの油と汚れと鼻水で汚れていく、
「もしかして、飼って貰いたいの?」
ミミの願いが天に通じたのか、女性は飼うという単語を口にした。
それを聞くと、テェェェジェジェジェェェ テチチチチチンと興奮気味に声を出すミミ。
嬉しさからか、ブバッと糞まで漏らしてしまった。
「とにかく、ちょっと離れてちょうだい」女性はそんな言葉を口にする。
飼ってもらえるものだと確信しているミミはその言葉に従う。
ここで言う事を聞けない悪い仔だと印象付けてしまっては、この先待っている女性との生活に支障をきたす
ワタチは良い仔、とっても聞き分けの良い仔、出来の悪い姉妹達はママに捨てられた。
ワタチはママに選ばれた仔、だからニンゲンさんに迷惑はかけないテチュン
なんとも可愛らしい考えをしながら地面に降り立つミミ。
テチチチッと笑っているから見逃していたらしい。

女性の表情が困ったような表情に変わってしまっている事を…
「ごめんね。私はあなたを飼ってあげられないの」
テ?っと間抜けな声をあげてしまうミミ。女性の住居は実装石住居不可のマンション。
隠れて実装石を飼おうものならば追い出されるマンションである。ミミを拾う事は無理であった。
そんな女性の事情など知らないミミ。真っ白な頭でテチュンっと媚びを行った。
それを見て首を左右に振る女性。
どうして? ワタチはこんなにもニンゲンさんが大好きなのにどうしてワタチを飼ってくれないの?
ニンゲンさんだってワタチが好きなのに、一緒に居たいと思っている筈なのに
どうして意地悪するの? 飼ってもらわないと困るの
ママは居ないし、お腹も空くの、一人ぼっちも嫌なの…
「ごめんね…」その言葉を女性が再度口にした時、ミミの中で何かが弾けた。
ウソツキニンゲン!! 飼ってくれるって約束してたのに嘘吐き!!
頭をいっぱい撫でてくれるって約束してたのに、一緒に暮らしてくれるって私に言ってくれてたのに!!

無論、女性はそんな事は口にしていなかった。
自分の思っていた事と、現実が違うのでその矛盾を埋める為ミミが勝手に歪曲したのだ。
俗に言う幸せ回路という奴で、事実を捻じ曲げ自分に都合の言い様に真実を捏造していただけであった。
テヂィィィィ テヂャァァァァァァァアァァァァアアァアア!!!
四つん這いになりながらの威嚇。自分は怒っているんだぞを全力でアピール。
いきなりの変貌振りにうろたえる女性目掛け、パンツの中に溜まっているものを掬い投げ出し始める。
「ちょっと、どうしたの?」
テッヂュアァァァァ!! 怒りに身を任せ、糞投げを延々と行うミミ。
手に持っていた飴が入った袋を落としながら逃げさる女性。
パンツの中が空になった頃、悲しくて悲しくて泣き声をあげる一匹の仔実装。
誰も居ない通りにテーンテーンという悲しげな泣き声がいつまでも上がっていた。

女性に向かって糞投げをしてしまってから、数日後の事である。
今日もミミは物陰に隠れ女性を待っていた。

ワタチは怒っている。ワタチの心を弄んだあのニンゲンを怨んでいる。
でもワタチは優しいテチ。土下座をしたら許してやる事にしたテチ。
あのニンゲンはワタチの事大好きテチ。きっと今ごろワタチに嫌われた事で泣いているテチ。
チププ、早く来るテチ。謝ってきたら許すテチ。お詫びの印に頭撫で撫でをしてもらうテチ
その後ご飯を食べて、一緒に笑うテチ。一緒に楽しい事をするテチ
物陰からもう一度チププっという声があがった。
ミミはあえて楽しい事を考えた。見てみぬふりを貫き通した。
ここに立ってもう結構な時間が経っている。太陽ももう数回は沈んでいる。
だけどあれから女性はこの通りを一度も通っていない…
待っても、待っても女性は姿を現さない。それを考えると不安になる。だからミミはその事を考えなかった。

物陰から声が上がる。テッチュンテッチュンと楽しそうに声が上がる。
女性が謝ってきた時、自分はもう怒っていないよと伝えるための実装ダンスの練習をしているのだ。
仲直りの印。ちょっとコミカルな振り付けは悲しい思いをしているであろう
女性を笑わせる為の気配り、笑ってもらいたいとミミが考えた結果。
そうやって、今日も時を重ねる。
それはミミの生命線である女性が落としていった飴も残り僅かになった
ある昼下がりの出来事であった…

おわr

スク引用元:実装石虐待保管庫


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