きっかけ

出勤するために外に出ると、夏のムッとした空気が身体を包んだが、朝の時間帯はまだ昼間に比べて大分穏やかだった。
ついでに捨てていくために携えたゴミ袋は生ゴミの水気のせいでそれなりの重量になってしまい、もう片方の手に持った通勤カバンで両手が塞がった状態に難儀しながらも何とか玄関に施錠をし、自分が住むアパートの部屋を後にした。
ゴミ捨て場に着くと、カラス避けネットの中には、すでに他の住居者たちが捨てたであろうゴミ袋がいくつか入っており、自分も同じように捨てるためにネットの入口を探す。
すると、ネットとゴミ袋の物陰から生き物のような鳴き声が聞こえた。
「テチャッ!?」
突然のことに驚き、思わず声を上げてしまう。
「うぉっ!?」
少し後ずさりして辺りを確認する。

すると、まるで人形のような得体の知れない生き物が二匹、手を繋いで俺の目の前までヒョコヒョコやってきた。
その姿は二匹ともに一糸まとわぬ裸の人間のような出で立ちで、頭は禿げ上がり、かろうじて額に点々と毛髪の名残りのような縮れ毛が垂れ下がっている。
容姿は二匹ともそっくりであったが片方は目測で10cmぐらいの大きさだったが、もう片方はその半分程度か。
「コイツらって……実装石なのか?」
たまに目にする実装石といえば緑色の衣服に頭巾と白いヨダレかけ。
あと変な前髪にロールがかかった後ろ髪が生えているイメージだ。
でも中には野良で暮らしていくうちに衣服や毛髪を無くし、コイツらみたいな姿になるヤツもいるらしい。
訝しく眺めていると大きい方がなにやら話しかけてきた。

「テチテチィ? チュッチュワ~!?」
「いや、なに言ってるか分かんねぇよ」
思わず言い返してしまう。
なんでも世の中には〈実装リンガル〉なる翻訳機があるらしいが、元々実装石に興味がない俺は持っていない。
「レチレチ~? レチチィ?」
小さい方が大きい方に話かけている。
「テッチュン! チュワッチュン!」
なにやら得意気な顔でうなずく大きい方。
「レチチィ!? チュワ~イッ!」
それを見て歓喜する小さい方。
なにやら勝手に話を進めているらしいが、なにを言ってるか分からない以上はどうしようもない。
でも実装石に関わる一般常識レベルでの知識なら俺も見聞きして知っている

そしてコイツらの態度や話しぶりから勘案して、おおよその見当をつけてその勘違いに釘を刺した。
「……飼わないぞ」
この一言で二匹の歓談はピタリと止まり沈黙が流れる。
「……テッチャ~!? テチテチッ!?」
「いや、なに驚いてんだよ」
そもそも誰も飼うだなんて言っていないし、その上この……。
俺はこの勘違いコンビをじっくり観察してみる。
つま先から頭のてっぺんまで剥かれたその姿は無様としか言いようがなかったが、さらに全身にこびり付いた汚れと臭いがこの二匹に対する嫌悪感に拍車をかけた。
汗や垢が混じり合い全身の表面にべっとりとまとわりつき、股間からは今こうしてる間にもポトポトと緑色の排泄物を垂れ流している。
下腹部や内股周りの汚れは自身の糞が垂れた跡だろうか。

あまりにも汚すぎる。
そしてそれらが渾然一体となって強烈な臭気を放ち鼻腔の奥を突き刺すような刺激臭を感じる。
特に大きい方は長く生きている分なのか汚れも臭いも小さい方のそれよりもさらに酷いものだった。
「レチ……? レチチュ……?」
小さい方はまだ事態が飲み込めていないのかキョトンとした顔で大きい方と俺を交互に見つめている。
「テチテヂャッ! ヂュワッヂャー!」
話が違う! とでも言わんとしているのか。
大きい方は地面をポフポフと踏みつけ地団駄を踏みはじめた。
「てことで、悪いな」
俺は駄々をこねる大きい方をよそに、カラス避けのネットの入口を探し当てると、ゴミ袋をねじ込んでその場を後にしようとした……が。

「テッ!? チュ……チュンチュ~ン♡」
猫撫で声。
とは程遠い、鳥肌が立つような気色の悪い甘ったるい鳴き声が背中越しに聞こえてきた。
聞いたことがある。
実装石の習性の一つで、自身の美麗さと可憐さと聡明さを最大限に発揮して(本人が勝手にそう思っている)、他者を狂わし自分の下僕にしてしまう魅惑の魔法〈媚び〉。
背筋がゾワゾワして思わず立ち止まる。
もちろん誘惑されてのことではない。
頭に熱がこもるような苛立ちと寒気がするほどの殺意。
「レチレチィ? レチュ~?」
振り向かずとも、大きい方の豹変ぶりを理解できない小さい方のキョトンとした顔が目に浮かぶ。

「テチテチッ! テチテッチュン!」
大きい方がなにやら小さい方に力強く説明している……のだろうか。
すると。
「……レチッ! レチレッチュ~ン♡」
「ッ!」
まさかの第二波が俺の脳髄に響き渡る。
「テチュ~ン♡ テチュテチュ~ン♡」
「レチレチィ♡ レチュ~♡」
大海が絶えず波うつように、背後から繰り返し送りつけられる実装石の醜悪なる儀式。
踵を返した俺は自らの手を二匹の哀れなる糞蟲どもに差し伸べた。

――数分後。
「すみません。……はい、ありがとうございます。……失礼いたします」
俺は会社への体調不良による欠勤の報告を済ませると自宅のフローリングにゴロンと仰向けに寝転がりスマホをポトリと落とす。
ふと指先を鼻に当て臭いを嗅ぐ。
石鹸で入念に洗ったはずなのだが、先ほど手にかけた糞蟲どもの悪臭がこびり付いて離れずにいた。
二匹の生き物は俺の手によって血と糞を撒き散らしながら命を宿さない肉塊と化し、いびつな形をした生ゴミは然るべき処理としてゴミ袋に詰め込まれゴミ捨て場に遺棄されている。
ゴミ捨て場での不意の余興のせいで、すっかり出勤時刻が遅れてしまった俺は開き直り、体調不良による当日欠勤を選んだ。 

「はぁ~……」
大きく息を吐いて伸びをする。
朝から不快害獣に絡まれるし、明日は明日で溜まった仕事が待っているだろう。
でも不思議と気分は重くなく、むしろ高揚してソワソワしてさえいた。
床に落としたスマホを持ち直し、ある言葉を検索してみる。
「実装石……と」
倫理や道徳心が指の運びを躊躇させる。
が、それに勝る興味と期待が指を走らせる。
「虐待……」